『ひまわり』

2013.05.16
丹波春秋

 宮城県気仙沼の湾に入り込む「大島」で、タクシーの運転手さんが「そこの岸壁に繋いであるのが、歌にもなった『ひまわり』です」と教えてくれた。ほんの数人乗りくらいの小船。夜間などフェリー、客船の時間外に使われる連絡船だ。▼船長の菅原進さんは地震の後、家族をいち早く避難させ、自分は意を決して「長年苦楽を共にした」この船で沖へ乗り出した。「ところが、どんどん内湾方向に戻され、気が付くと松岩側にいた。態勢を整えて再び沖に向かおうとした時、今まで見たこともない山のような波が迫ってきた」(三陸新報社刊「巨震激流」掲載の証言)▼死を覚悟し、家族や愛船に「今までありがとう」と叫ぶ一方、「ここで死ぬわけにはいかん」と勇気を奮い起こし、10級の波を3度4度とかわしながら、引き波押し波で流れてくる瓦礫を避けながら突き進んだ。▼「沖に向かう小船がほかにもあったそうですが、助かったのは菅原さんだけでした。彼がえらかったのは、フェリーも客船も全部駄目になって島が孤立した間、全壊した自宅のことも構わずに、夜昼となく往復して人や物資を無料で運んでくれたこと」とタクシー運転手。▼もし自分が同じ場面に立たされた時、一人沖に向かえるか、最後かもしれない瞬間に感謝の言葉が出せるか、と自問してみる。(E)

 

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