重度障がいでも一人暮らし 「選べるサポートを」「自分だったらの視点で」 筋ジス患者が思い語る

2019.06.29
ニュース丹波市地域

障がい者の自立生活について語る藤原さん=兵庫県丹波篠山市網掛で

兵庫県丹波市氷上町出身で、現在は同県西宮市で暮らし、筋肉が衰えていく病「筋ジストロフィー」を患っている藤原勝也さん(39)がこのほど、同県丹波篠山市の丹南健康福祉センターで「重度障害者の地域生活」と題して講演した。県社会福祉士会権利擁護センターぱあとなあ兵庫の主催。要旨をまとめた。

 

親に感謝も「自分の人生を」

筋ジストロフィーという病気にはいろいろな種類があるが、僕は特に重度の「デュシェンヌ型」。主に10歳前後で歩けなくなって、20歳前後で人工呼吸器がないと息ができなくなる。

僕がこの病気だとわかったのは5歳。当時、この病気は20歳前後で亡くなると言われていたので、両親は相当ショックを受けたと思う。

僕も10歳の11月に歩けなくなり、以来、ずっと車いすに乗っている。中学生の時に腕が上がらなくなり、寝返りも打てなくなった。24歳の時には自発呼吸がほとんどできなくなった。

その後、病院で人工呼吸器をつけてもらった。おかげで今、39歳になった。

今、僕が使っている機械で6キロくらい。だんだん小型化しているし、在宅でも使えようになった。なので、僕は病院から出てきたところのような恰好をしているが、地域で生活することができている。

実家にいる時、介助はすべて両親がしてくれた。とても感謝しているけれど、生活のすべてが親の都合で決まり、自分で決めた人生は送れなかった。

親が面倒みれなくなったら僕の人生は将来どうなるんだろうと不安があった。

転機になったのは大学進学。僕は重い障がいがあったけれど、大学に挑戦し、西宮市の関西学院大学に合格した。

最初は丹波市から親が送ることも考えていたが、地域で一人暮らしをしている障がい者をサポートしている団体とつながることができ、ヘルパーさんの力を借りながら一人暮らしをし、大学に通うことができた。以来、ずっと西宮市に暮らしている。

あらゆる選択肢を示してほしい

「自立生活」という言葉は、1970年代にアメリカで言われ始めた。どんな重い障がいがあっても地域で当たり前に暮らす、ということで、「障がいがあるからあなたは施設」ではなくて、「自分が住みたい地域で暮らす」ということ。そして、自分の意志で生活していくこと。

やりたいことがやれる。起きたい時間に起きる。寝たい時間に寝る。食べたいものを食べる。自己選択、自己決定、自己責任ということになる。

僕は生活のすべてを自分ではできない。トイレ、風呂、食事、着替え、お金の支払い、電話―。人工呼吸器の装着などの医療的介助も含めて、ヘルパーさんに指示してやってもらう。これも自己決定と自己責任で、介助者の失敗は自分の責任だと思っている。

こういった生活ができているのは、障害者総合支援法に基づく介助制度があるから。これは都会だけのものではなく、本来は全国どこでも使える制度。ただ、24時間の介助は、地方では自治体が認めてくれることが少ない。そして、これをやってくれる事業所も少ない。単価が安いことも大きな理由だ。

障がい者の権利条約の第十九条には、「障害者が他の者との平等を基礎に(中略)どこで誰と生活するかを選択する機会を有する、特定の生活施設で生活する義務を負わない」とある。つまり、本人が選べるということ。あらゆる選択肢を示したうえで、本人が選べるということが大切だ。

僕の場合は、学校の先生、支援の協会、介助者など、いい出会いがあったから生活できているし、その感謝を忘れることはない。

でも、たまたまいい人と出会ったからできるのではなく、本人が望むなら、必要なサポートが受けられることが大切ではないか。それさえあれば障がい者も地域で生活することができる。

「絶対無理」と言わずに、できることがあることを知ってほしい。ぜひ、「自分だったらどうだろう」という視点を持ってほしいと思う。

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