今回取材した養鶏農家ら関係者は、鳥インフルエンザ騒動時にさまざまなジレンマを感じていた。 「もう少し早く農家への補償が講じられないか、と思った」と旧春日町の担当者。農家が無収入でも、鶏は毎日エサを食べる。国県による補償の方針が定まらない状況に苦い思いを感じた。 ある農家は、「卵と鶏を動かすな、の一点張り。当初具体的な指示はなかった」と、移動制限措置直後を振り返る。行政とのやりとりの中で、声を荒げることもあった。しかし、「一担当者では答えようがないことは分かっていた」とも。情報不足に、いらだちが募っていた。 4月半ばの安全宣言で、騒動は一応終息したが、農家は風評被害の払拭に追われた。別の養鶏農家は、「取引量が、数カ月戻らなかった農家もあった」。先の担当者は、「関連業者の補償もあり、秋まで問題は続いた」と話す。 79年ぶりの事態とあって、全てに時間がかかった。「初めてだったので仕方ない部分があったと思う」とは、ある農家の言葉。あれから一年。もう病気は起きてほしくない。しかし「万一」の場合は、ジレンマが蘇ることのない対応を望む。(古西広祐)