8年前に75歳で亡くなった祖父は、職業軍人だった。旧陸軍工科学校を卒業後、技術下士官として東南アジアを転戦し、ニューギニア近くの島で終戦を迎えたそうだ。 幼いころ、たびたび当時の話を聞かせてもらった。嫌な上官に頭をかきむしった食事を出した「ふけ飯」の話、川に手榴弾を投げ込み魚をとった話-。数々のエピソードを、私は無邪気に楽しんだ。 野性味あふれる軍隊話が好きな人だったが、戦場については語らなかった。唯一記憶しているのは、私が食事の好き嫌いを言った際、「戦場では何でも食べなければ生きられなかった」と叱り、ネズミを食べることができず従軍看護婦が餓死したという話をしたことだ。しかしこの事以外、辛酸を極めた体験を私に話したことはなかった。 「戦争のことなんか、思い出したくもない」。晩年、戦記物のテレビ番組を見ていた際にもらした一言を今でも覚えている。苦りきったその口調は、幼い私を喜ばせた『冒険譚』の背後にある暗闇の深さを物語っていた。 戦後60年。紙面で語られる数々の戦争体験を読むにつれ、青春を戦に費やした祖父のことを思う。(古西広祐)