今年も1月17日がめぐってきた。あの日から15年―。 午前5時46分52秒、兵庫県南部をマグニチュード7・3の激震が襲った。死者約6500人、負傷者4万人以上、家屋の全半壊および焼失が25万戸以上という未曾有の大災害。 当時、阪急西宮北口駅そばの文化住宅街の一角で暮らしていて被災した。ドンッと大きく体が跳ね上げられたかと思うと、あっという間に家屋の瓦礫に飲み込まれた。なんとか自力で這い出し、目の当たりにした光景は、今でも脳裏にはっきりと焼きついている。道路や鉄道、電気、水道などのライフラインが寸断された街を毛布にくるまり、おびえながら歩いたあの日のことを思い出してみる。「あれからもう15年か」とも思えるし、もっとずっと大昔の出来事のようにも感じられる複雑な感覚だ。 震災の記憶を風化させることなく、伝えていくことが生き残った者に課せられた使命だと私は思う。助け出すことができなかった隣のおばあさんとの思い出を何度も思い返しながら、今年も「1月17日」という日を過ごしたい。 (太治庄三)