友人の美容師が被災地で言われたという言葉が忘れられない。「ボランティアに来てくれるのはうれしい。でも、ずっと続けば、地元の商売はあがったりになる」
月に1度、東北へ足を運ぶたび、その変化に驚かされる。
当初は物資も行き渡らず、被災者の生活支援が課題だった。しかし、今では、「もらい慣れになっている」という声も上がるのが実情だ。
そんな中、篠山市が計画している支援米の概要が決まった。市民らから約37の申し出があり、10月に宮城県南三陸町に届けるという。
篠山で集まる米の一粒一粒は、確かに私たちの善意。被災者からも喜ばれるだろう。
ただ、少し考えてみたい。もしかすると、この36トンは、本来、被災から立ち上がろうとする現地の商店が売るはずだったものではないか。
今、被災地の最大の目標は自立。そして根幹をなすのは地域経済。その復興なしに真の自立はない。そのことを、前述の美容師の言葉が如実に語っていると思えてならない。
支援米を否定するわけではない。が、支援について、もう一歩踏み込んだ議論を行う時期が来ている。(森田靖久)