幸せな死に方

2012.11.24
未―コラム記者ノート

 10月30日、祖母が逝った。
 最後の夜、父と2人、病室に泊まり込んだ。「痛い、痛い」と叫び、眉間には深い深いしわができていた。手を握り、ただただこの苦しみから解放してほしいと祈った。
 空が白んできたころ。心拍、血圧ともにびっくりするような正常値を示した。そして、目は強く開かれていた。虚空を見つめる瞳は、力強く、水晶のようにきれいだった。
 その後、少しずつ呼吸が弱くなり、最期は首筋の脈が静かに止まった。
 穏やかな死に顔だった。苦しみとともに90年の歳月が刻まれたしわも、きれいにほどけていた。それがどれほどうれしかったか。
 親族に見守られて逝った祖母。その気持ちはわからないが、幸せな死に方に思えた。
 葬儀後、脳裏をよぎったこと。東日本大震災だ。
 多くの人が誰にも見守られず、命を落とした。今もまだ家族のもとへ帰れない人もいる。本人、家族ともに、どんなに悲しい出来事か。そして、それは今も続いている。
 人が幸せな死に方を迎えることができる幸せ。その尊さをおばあちゃんが教えてくれた気がした。(森田靖久)

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