平成7年1月17日―。当時、阪急西宮北口駅そばの文化住宅街に暮らしていた。築30年近いアパートがマグニチュード7・3の激震に耐えられるはずもなく、あっという間にがれきと化して私を呑み込んだ。
冬の早朝、真っ暗な目の前を何度も青白い閃光が駆け抜けた。「生きているのか」。私がぼんやりと眺めているのは、がれきのすき間から見えている屋外の光景だった。手元のラジカセをハンマー代わりに、ひしゃげた土壁のすき間を広げ、がれきの中から外へと脱出。パジャマ姿で突っ立っていると、近所の人が倒壊した自宅から毛布や衣類を引っ張り出して、「寒いやろ」とそっと肩に掛けてくれた。見知らぬ人に招かれ、ぎゅうぎゅう詰めのワゴン車の中で夜明けを待った。
土ぼこりとガスのにおい。遠くで立ち昇る炎と煙。道路に並ぶ遺体の数々。自分の身に起きた辛くて苦しい強烈な出来事なのに、昨今、次々に日本を襲う自然災害や、ショッキングな事件・事故に記憶が上書きされ、「阪神・淡路大震災」が私の中で「遠いあの日」になろうとしている。(太治庄三)