「母親、父親いずれのイメージを自然に対して持つか」と問われれば、多くは母親と答えるだろう。基本的に自然は、人を優しく包み込む慈母のようなものと考えるからだ。ならば、なぜ自然はときに刃を振りかざし、私たちを苦しめるのか。
けたたましく荒れ狂う自然の姿は母親のイメージからほど遠いが、河合隼雄氏は「母性はその根源において、死と生の両面性をもっている」という。その証拠に日本神話におけるイザナミは、日本の国を生み出した偉大なる母の神だが、黄泉の国を統治する死の神でもあるという。
生まれ出たものはやがて必ず死を迎える。その死者を受け入れるのも母性であるというのだ。「かくして母性は、産み育てる肯定的な面と、すべてを呑み込んで死に到らしめる否定的な面をもつのである」。私たちに恵みをもたらすと同時に、過酷な仕打ちもする自然は、まさに母なるものか。
「天災は忘れた頃にやってくる」で知られる寺田寅彦は、人間は災難によって養われてきた側面がみられるとした。無常観を身につけるなど、日本人を日本人に育てたのは「災難教育」の結果であろうという。
それも一理だ。共助の精神も災難によって養われたかもしれない。しかし、もう十分だ。自然はどこまでも慈母なる存在であってくれと願う。(Y)