旧石器時代のこと。ナウマンゾウを捕えるため、各地からハンターが集まってくるキャンプ場が春日町にあった。七日市遺跡だ。ナウマンゾウが氷上回廊を通って南北を移動するのを待ち受けて仕留めた。肩の高さまで2・4メートルもあるゾウ。余った肉は燻製にして食べたらしい。3万年前の頃のことだ。
しかし、そのうちにゾウの数が少なくなった。困った旧石器人たちは猪や鹿を狙うようになった。2万5000年前の頃のこと。はるか昔から私たちの先祖は猪や鹿を食べてきた。
農作物を荒らす害獣でもある猪や鹿。私たちの先祖もその害に悩んできた。柏原町上小倉に伝わる村の古文書に、「猪褒美」「鹿褒美」が記されている。猪や鹿を捕えた者には褒美としてお金を与えることを村の決まり事にするというもの。
「猪の三年子より上を捕えたら一頭あたり銀十五匁、二年子は銀五匁」などと定めている。鹿に比べて猪の褒美の方が多額なため、猪の害の方が大きかったのかもしれない。この文書は寛政2年のもの。今から230年ほど前だ。
時代はくだって明治のこと。篠山連隊で、みそ汁に猪の肉を入れて食べた。それが「ぼたん鍋」の始まりとも言われている。鹿はさておき、先祖から深いつながりのある猪の肉を鍋にして食べる季節が巡ってきた。(Y)