年賀状

2019.01.10
丹波春秋未―コラム

 Uさんのエッセイ風の年賀状が目を惹いた。文字通り「年賀状」という題。「子どもの頃、母のもとに届く年賀状を見るのが毎年楽しみだった」と。

 大抵が型通りな中で1通だけ際立って個性的で、まだ米国統治下だった沖縄を旅して軍事基地の多さに驚き、怒りを覚えたという感想など、この見知らぬ東京の男性が、田舎に住んでいた自分には子供心に格好良く見えた。

 実は母の初恋の人だったらしい。夫が早く他界し、苦労の多かった母にはこの年一度の便りが秘かな愉しみだったようだ。「家庭を持ってからの私も、年賀状にパターンを避け、何がしかエッセイ風にしてきたのは、その人の影響が大いにあると思う」。「母も彼も遠の昔に鬼籍の人となり、当時の母の年齢をはるかに越えた私だが、秘かな交信には縁遠く、早や〝終活〟に心を傾ける歳になった」。

 同じく終活世代の筆者も、昨年末には「来年からは年賀状を欠礼致しますが、ご容赦を」との丁寧な便りを何人かから受け取り、今年の賀状にも「これをもって、以後は…」との文面を少なからず見かけた。

 淋しくもあり、幾分は解放感もある。筆者自身の賀状もパターン化の極み。枚数を減らしつつ、パソコンに助けられて半ば義務的に片づけている。しかしそれでも、まだ当分は続けよう。(E)

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