選抜高校野球

2019.03.24
丹波春秋未―コラム

 「二町四方の間は、弾丸は縦横無尽に飛びめぐり、攻め手はこれにつれて戦場を馳せまわり、防ぎ手は弾丸を受けて投げ返し…」。何を表現したものか、おわかりだろうか。書いたのは俳人の正岡子規。大好きだった野球を明治時代らしい言葉、文体で表した。

 子規が死去する前年の明治34年、旧制柏原中(柏原高校)に2代目校長として赴任した大江礒吉は、生徒の自主性や自律性を高めるため部活動を大いに奨励し、ベースボール部を創設した。当時、県内には姫路中にベースボール部があるだけだった(荒木謙氏『大江礒吉の生涯』)

 野球の先進校だった柏原高校野球部が昭和36年、春の選抜高校野球に出場した。甲子園の土を踏んだ当時の部員の談話が、柏原高校120周年記念誌に載っている。秋の修学旅行に行かずに練習に専念。失神してしまうほどのノックの嵐を受けたという。さぞや猛練習だったのだろう。

 イチローが全盛期の頃、「ヒット1本を打つのに、どれだけの時間を費やしているか」と語っていた。天才的と思えるイチローだが、1本のヒットの背後には人知れない練習があったに違いない。

 丹波地域の高校生も多く出場する選抜が開幕した。練習で鍛え抜かれた肉体が駆け巡り、磨き上げた技術で戦う。正岡子規はどう表現するだろうか。(Y)

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