「この里に手毬つきつつ子どもらと遊ぶ春日は暮れずともよし」。子どもと一緒に手毬遊びに興じた良寛和尚の歌である。うららかな春の日を良寛は心から愛した。
春を待ちわび、訪れを喜んだのは、その暮らしと無関係ではない。良寛は、豪雪の越後に構えた庵に住んだ。床板の上にゴザを敷き、壁は板張り。拾ってきた木のきれはしを焚いて暖をとるが、雪国の厳しい寒気が容赦なく身を刺した。
しかし、「生が極限にまでさらされたような、無一物のきびしい生存形態こそ、良寛の選んだ生だった」(中野孝次氏『良寛に生きて死す』)。良寛は真に生きるため、とことん不純物をそぎ落とした。そんな姿勢は、言葉に対する態度にもあらわれた。
良寛は、ものの言い方についていくつもの戒めを残している。いわく「話の長き」「自慢話」「若い者の無駄話」「さしたる事もなきをこまごまと言う」「俺がこうしたこうした」「人の隠すことをあからさまに言う」「人の物いいきらぬうちに物いう」などなど。今を生きる私たちにも当てはまる戒めである。騒がしいテレビ番組や、さまざまな発言が飛び交うネット世界に見られるように、良寛の嫌った物の言い方はむしろ深まっている。
良寛の言葉を引きつつ、現代の風潮を非難する筆者にも良寛の戒めは及ぶ。「物知り顔に言う」。(Y)