「旅愁」歌碑

2019.05.16
丹波春秋未―コラム

 たんば黎明館(旧柏原高女校舎)向かいに建てられた唱歌「旅愁」歌碑の落成式に、多くの人が集まった。500万円もの寄付金が寄せられ、柏原高校のOBだけでなく、関東や九州からも。「丹波には長らく帰っていないが、是非このお金を」という便りもあったそうだ。

 作詞者の犬童球渓は初任地の旧柏原中で西洋音楽に馴染まない生徒らの反発に遭って、8カ月で新潟の女学校に移り、そこで作ったのがこの歌。県下で中学が5校しかなく、音楽の授業は全国の中学で初めてという時代、生徒らもさぞ生意気だったのだろう。

 「同窓生としては、申し訳ない気もする」という人も少なくないが、当事者だった生徒が卒業後、同窓会誌に涙ながらの反省文を寄せたという話には救われる。球渓にとって、故郷の熊本県人吉に似ているらしい柏原の雰囲気自体は悪くなかったらしい。柏原中での苦い経験があってあの名曲が生まれたのかもと、我田引水ながら推測もできる。

 熊本のテレビ局が以前に作った記念番組のDVDで、球渓の柏原中辞職願の文書や、後に依頼されて作った同校校歌の全曲など、柏原のことが非常に丁寧に紹介されているのを観た。

 今回の歌碑により、ネガティブな過去のイメージが薄められ、人吉との恩讐を越えた繋がりが強まることを願う。(E)

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