幽邃の寂境

2019.11.10
丹波春秋未―コラム

 作家水上勉の著書『日本紀行』にこんな一文がある。「本堂にあがって、庭前をとりまく数多くの楓をみていると、どれもこれも同種のものはなくて、とりわけ、こまかい葉の老楓が眼についた」。青垣・高源寺の天目楓を描写した一文である。

 高源寺の開基は、遠谿祖雄(えんけいそゆう)禅師。弘安9年(1286)、青垣町山垣の城主の子として生まれた。幼い頃から信仰心が厚く、19歳で出家。20歳の時、仏道を極めるため中国に渡った。仏法のためには生命も惜しまないことを「不惜身命(ふしゃくしんみょう)」という。まさに不惜身命の決意であったろう。

 中国・杭州の天目山にのぼり、修行すること10年。のちに古里の青垣に戻り、高源寺を創建した。天目山から持ち帰ったカエデを境内に植えたのが高源寺の天目楓の始まりで、水上勉が書いたように葉が小さく、葉の切れ目が深いのが特徴という。

 高源寺はその後、信長の丹波攻めで建物を焼失するも、復興が図られ今に至る。創建から700年近く。閑雅な山里にある古刹にも、折り重ねられた歴史の分厚い層がある。

 「大徳寺の石畳や、大原三千院の参道も美しいけれど、高源寺に比べると、格段の差がある」と評価した水上勉は、高源寺には「幽邃(ゆうすい)の寂境(じゃっきょう)」があると書いた。幽邃とは、景色などが物静かで奥深いこと。幽邃の地に紅葉が映える。(Y)

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