詩人の谷川俊太郎氏は、葬式に出るのはいいが、結婚式に出るのは気が進まないという。葬式は故人の過去を偲ぶのに対して、結婚式は、目の前に座る二人の未来を思うからだ。
子どもを持てば、学費に苦労するだろう。家を購入すれば、多額のローンを背負うだろう。老後の計画は大丈夫だろうか。生活苦にあえぎはしないか。もし離婚することになれば、さぞや心を痛めるだろう。「ふたりを祝福したいと思えば思うほど、心配の種はつきない」。未来は決して明るくないことを知りながら、祝福しなければならない辛さが結婚式にはあるという。
本紙7面掲載の「うたの小箱」で紹介されている短歌が目を引いた。「ひと匙の果汁はのどをとほりすぎ赤子よ にんげんをもう逃げられぬ」。離乳食を始めたばかりの赤子の口に果汁を含ませている時の歌だという。
果汁を呑み込んだ赤子は、これから人間として社会の中で生きていく。前途には喜びもあろうが、苦難も待ち受けている。はたして恵まれた人生を歩めるだろうか。赤子の未来を思うと、素直に祝福していいものかどうか。そんな戸惑いが感じられる歌だ。
未来に対する漠然たる不安が社会をおおい、人の心に忍び込んでいる現代だ。晩婚化や非婚化が進み、少子化が進むのも当然の帰結なのかもしれない。(Y)