気楽な学生生活に別れを告げて心機一転、4月から丹波新聞の記者として新たなスタートをきった。期待と不安が入り混じる中、ベストを尽くそうと奮闘するものの、数日間で記者の厳しさを嫌というほど思い知った。 まず自分が方向オンチだということに生まれて初めて気が付いた。目的地にたどり着くために5キロ進んでは地図を引っ張り出す始末。足が命の記者にとっては致命的な欠点である。 さらに取材するにしてもさっぱり要領を得ない。緊張のあまり何を聞けばいいのか分からず、真っ白なノートを片手に頭の中が真っ白になった、という経験も一度や二度のことではない。 果たして自分は記者としてやっていけるのか、我が身の行く末を案じていた時のことである。市島町の竹田小学校近くで咲いたサクラを撮影していた際、通りかかった小学生に「あ!カメラマンや!」と声をかけられた。その時、こんな自分でもそれらしく見えるのか、と思うとなぜか励まされたような気がした。 自分は記者としては未熟である。だが一刻でも早く一人前になれるよう、精進していきたい。(西澤健太郎)