昨日の17日、6000人を超える死者が出た阪神淡路大震災から20年の節目を迎えた。当時、私は小学校3年生。少年だったが、今でもあの日のことははっきり覚えている。
大きな揺れで目を覚ました。部屋に飛び込んできた父親が「地震だ」と叫んだ。落ち着きを取り戻した後も、余震が起こるかもしれないと、ストーブをつけられず、兄とともに上着を着込んだ。今は亡き祖母と3人で身を寄せ合い、暖をとった。目を閉じれば、あの時の祖母の温もりを、今でも思い出すことができる。
震災から数日後、通っていた小学校の様子も変わった。私の学年には、5人ほどの仮転校生がやって来た。実家への帰宅のめどがつき、一週間で帰って行った子、今も丹波市で暮らす親友。その親友は、今では二児の母親だ。
学校から被災地に救援物資を送ることになり、「持っていきなさい」と、祖母にレトルトカレーを手渡された。あのカレーは誰かの空腹と、心を満たしてくれたのだろうか。今でも少し気になっている。
あれから20年。書くことで当時を思い出し、胸に刻み続けたいと思った。(田畑知也)