朝、手に取った朝刊に、何気なくスイッチを押したテレビに、あの日の姿があった。
先日、東日本大震災、福島原発事故の発生から4度目の3月11日を迎えた。発生来、東北に赴き、丹波地域の人々と被災地のつながりを報じてきたが、率直な気持ちとして、耳と目を塞ぎたくなる一日だった。
1年目、2年目は改めて当時を思い、あの惨状とそこから立ち上がる人々に思いをはせた。3年目、風化が叫ばれ始め、食い止めようと様々な記事を書いた。そして、4年目。また記事を書いてきた。
そうして迎えた節目の日。まったく頭が働かず、むしろ拒否反応を起こしていた。
冷静になって、今思う。これが本当の意味で震災と向き合うということではないかと。見たくない、聞きたくない。でも、伝えなければならない。東北の人々は今も、震災を伝え続けている。その心労は察するに余りある。
どこまで行っても、私は被災者の方々と同じ気持ちにはなれない。少しだけ力になれればいい。そのことだけは、また肝に銘じようと思う4年目だった。(森田靖久)